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2010年9月26日 (日)

ごみ屋敷の考察――ごみが捨てられない理由

今日は可動式の物干し台を撤去していたら、数年がかりで内部に溜まって腐りきった真っ黒な汚水を後頭部から背中にかぶってしまった(たまらん臭かった)新米キーパー中年です。ギャラリー(見物のご近所さん)から「あっ、水かかった!」と呼び声もいただきました。サンキュー、サンキュー。

 

ところでこれは、一線を越えたホンモノのごみ屋敷についてのひとつの仮説なのですが、1メートル越えの自分の生活ゴミの集積の上に乗って生活している人について、想像しているうちに分かったことがあるように思うのです。

ゴミを踏んで、乗って、ゴミの上で暮らすというのはそもそも常人の感覚を超えてしまっていると思うのですが、その後、キッチンも風呂もトイレも使えなくなる(ウェットティッシュが風呂代わり…?)ということになってくるとさらに想像が難しいですが、なんとかついて行ってみましょう。すると分かることがひとつ。ごみ、捨てられません。捨てると不潔になってしまうからです。

なぜなら上層の(比較的)新しいごみをどけると、古層のごみが出てくるからです。われわれが掃除をしていても下に行くほどキツイことになりますからね。つまり(一線を越えたあとは)常に新しいごみをまき散らすことによって表面を(相対的に)清潔に保ち、同時に古いごみを埋めているのだと。概念的に言えば「土に戻る」のを待っているのではないかと。「ゴミ捨て場(貝塚)」という概念を知らなかった古代人、森の中の人、みたいなことじゃないでしょうか…。

 

そうなる前に手を打たなければ後戻りができない。そうなった後は行き着くところまで行くしかなくなってしまう。それがごみ屋敷/ごみ部屋という現象の一面としてあるのではないか。

そしてもっと言えば「ごみ屋敷の掃除」というのは『好きになってはいけない仕事』なんじゃないか、と思うのですね。実に不幸な仕事だと。そんなことが好きだというのは不幸すぎます。それに較べたら「そうならないように人を導く」というほうが何倍も幸せな仕事なんじゃないかと思います。断ち切りましょう、不幸の連鎖。なんだこの結論。

 

 

 

関係ないけどとっても好きな曲:

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