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2010年9月

2010年9月28日 (火)

渋谷のネズミ

急に決まった休みでしたが、そういえば火曜日は渋谷に行けば楽しいことがあるんだった……新米キーパー中年です。

 

渋谷で電車降りるのはなつかしい感じがします。10年前はよく通ってました(前の仕事で)。町は当然のように様変わりしていて、駅前の巨大モニターとか数が増えてますし。でも当時よく行った喫茶店がまだありました。他にも見覚えがある店もちらほら。

そういえば昔、初めて来たときなんかは渋谷を「この町は巨大な劇場のようだ」(なんか全部がお芝居しているみたいだ)と思ったりしたものですが、今日は「この町は大きな地方都市のようだ」とか思いました。たぶん地方が「渋谷化」したんでしょう、この10年で。

あと、勝手にタワレコ潰れたんだと思ってたら、あったので驚きました。そうか、潰れたのはHMVでしたか。

 

楽しいことも済んで、帰りに渋谷駅前で立ち止まってタバコ吸ってたら、植え込みの根元に動くものが。あ、ネズミ。でかい。かわいい。こないだ仕事で行ったごみ屋敷で小っちゃいのがいて可愛かったですけど、でかくても可愛いのでした。すぐにちょろちょろっと見えなくなっちゃったけど、いやー駅前にネズミねえ。やはりわたしの知ってる渋谷とは、なにがどうとはうまく言えませんけど、ちょっと違うようでした。

 

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2010年9月27日 (月)

作業着の誘惑

女性の共感は得にくい話やもしれません。新米中年キーパーです。

 

私どもの会社は「見積りはスーツ着用」という決まりですが、作業時は作業着を着ています。汗をかくし汚れたり(汚水をかぶったり)もしますし。動きやすい服ということで揃いのポロシャツと作業ズボンを着ます。

ところで毎日スーツのサラリーマンの方でも学生時代に肉体労働のバイトを経験した人ならおわかりだと思いますが、動きやすい服装は動きやすいだけに、たとえば休憩中に地べたにしゃがみ込んだりアグラかいたり、それでタバコ吸ってみたり、非常に抵抗なくできてしまうのです。いわゆる労務者スタイルと申しますか、品のよろしいものではございませんよね。人はスーツ着て地べたに座りませんものね。

わたしは、学生時代は山とか行ってたので地べた座りまくりでしたけど、学校出てからは専らスーツ着てオフィスワークで暮らしてきた時間が長かったものですから、10何年地べたとは無縁の生活でございました。

 

ところが昨年から楽器(アラブの太鼓)を習い始めたところ、その先生の流儀では「外で演るときは地べたにアグラがデフォルト」だったものですから、某矢場町の高架下で毎週地べたに座り込んで(労務者集団ふう音楽家集団と呼ぶべきか)道行く人々を睨みつけながら長時間練習するというガラの悪い日々を1年あまり送りましたものですから、今では私自身は地べたに座ること自体にはふたたび何の抵抗もないというか、むしろ座りたいのです。

だがしかしお客さまおよび道行く人々に対しては、それはいかんだろうとも思うのです。

作業着を着ていても心はスーツ。水前寺清子みたいですが、これがキーパーズの心意気だと思います。

 

 

 

YouTube - 水前寺清子  いっぽんどっこの唄 1966

 

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2010年9月26日 (日)

ごみ屋敷の考察――ごみが捨てられない理由

今日は可動式の物干し台を撤去していたら、数年がかりで内部に溜まって腐りきった真っ黒な汚水を後頭部から背中にかぶってしまった(たまらん臭かった)新米キーパー中年です。ギャラリー(見物のご近所さん)から「あっ、水かかった!」と呼び声もいただきました。サンキュー、サンキュー。

 

ところでこれは、一線を越えたホンモノのごみ屋敷についてのひとつの仮説なのですが、1メートル越えの自分の生活ゴミの集積の上に乗って生活している人について、想像しているうちに分かったことがあるように思うのです。

ゴミを踏んで、乗って、ゴミの上で暮らすというのはそもそも常人の感覚を超えてしまっていると思うのですが、その後、キッチンも風呂もトイレも使えなくなる(ウェットティッシュが風呂代わり…?)ということになってくるとさらに想像が難しいですが、なんとかついて行ってみましょう。すると分かることがひとつ。ごみ、捨てられません。捨てると不潔になってしまうからです。

なぜなら上層の(比較的)新しいごみをどけると、古層のごみが出てくるからです。われわれが掃除をしていても下に行くほどキツイことになりますからね。つまり(一線を越えたあとは)常に新しいごみをまき散らすことによって表面を(相対的に)清潔に保ち、同時に古いごみを埋めているのだと。概念的に言えば「土に戻る」のを待っているのではないかと。「ゴミ捨て場(貝塚)」という概念を知らなかった古代人、森の中の人、みたいなことじゃないでしょうか…。

 

そうなる前に手を打たなければ後戻りができない。そうなった後は行き着くところまで行くしかなくなってしまう。それがごみ屋敷/ごみ部屋という現象の一面としてあるのではないか。

そしてもっと言えば「ごみ屋敷の掃除」というのは『好きになってはいけない仕事』なんじゃないか、と思うのですね。実に不幸な仕事だと。そんなことが好きだというのは不幸すぎます。それに較べたら「そうならないように人を導く」というほうが何倍も幸せな仕事なんじゃないかと思います。断ち切りましょう、不幸の連鎖。なんだこの結論。

 

 

 

関係ないけどとっても好きな曲:

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2010年9月25日 (土)

だからわたしはブログを書きます

新米キーパー中年です。遺品整理の仕事を始めさせていただいて、毎日おどろくようなことばかりです。うまく対応できないことばかりでちっとも慣れません。年を食ったぶん順応性が衰えているのかもしれません。逆に言えば新鮮で刺激のある毎日を送らせていただいていることに感謝しています。これまで経験したことのないようなことばかりですから。

 

その経験をできるだけ言葉にしようと思って記事を書いています。新しい経験を表現するには新しい言葉遣いが必要になると思うからです。「新しい言葉遣い」とは、これまで使ったことのない語彙や言い回し、表現方法、自分にとって新鮮な話の展開やフレーズといったことです。

 

この遺品整理という、世界にもあまり類を見ない仕事については、ひたすら、もっともっと、ときには必死になって言葉を出していかなければいけないと思うのです。肉体的精神的な疲労にも耐えて言葉を出していきましょう。言葉にしなければ流れて行ってしまいます。新鮮な体験が自分の中で陳腐で日常的なものになってしまう前に、何度も内語して改めて人に話す気にならなくなる前に、なんと言えばこの体験を言葉で伝えることができるだろうかと探り試し続ける必要があると思うのです。

 

なんだかすごく一人言になってしまいましたが、明日も、またここで。

 

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2010年9月24日 (金)

大迷惑パートⅡ 

どーも皆様お久しぶりでございます。

いやホント・・・

久しぶり過ぎてログインの仕方を忘れていたキーパー太郎ですhappy02

今年の夏は暑かったですね。

暑すぎて、また車を壊しちゃいましたsweat02 そう・・・2年前のように・・・

前回は首都高を通行止めにし、アクティー君を廃車にした私。

今回は2代目見積専用号のハイジェット君(ダイハツ)を病院送りにしてしまいましたsweat01 

たまたま壊れるタイミングで私が乗るのか、私の運転が悪いのかは定かではありませんが、どーも機械類との相性が悪い様です。

普段から電化製品の調子が悪ければ叩けば直ると思っている私・・・

当日も力なく止まっていくハイジェット君の車内で『オラ~気合い入れて走らんかい!!』などと叫びながらバシバシとハンドルを叩いておりましたpunch  まぁ直るわけないですけどね。

2年前の教訓もあり、手慣れた段取りで救助を要請。JAFの到着は1時間以上かかるとの事。

えっsign011時間ですか・・・

現場は東名高速下り線。御殿場インター手前の右ルート。山道の為カーブも多く、車内で待機って訳にもいかず、しぶしぶガードレール脇へ。

暑い…ただひたすら暑い・・・気温は30度以上。もちろん日陰は無し。飲み物といえば毎朝行くド○ールのアイスコーヒーの氷が溶けた水のみsweat01 でも結構いっぱいheart04(嫌み)bleah

しかし1時間を経った頃には意識はもうろう、立ってられなくなり、しゃがんだ先に居た蟻さんの数をぶつくさ数えていたのは暑さのせいだけでしょうか???

兎にも角にも、こうやって元気にブログを書けるのは、いつも氷の多いアイスコーヒーを提供してくれるド○ール京急平和島店さんのおかげですheart01

えっsign01違うってsign02

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2010年9月23日 (木)

人間の尊厳

それは「衣食住」という言い方ではまだおおざっぱに過ぎて、「炊事・洗濯・風呂・トイレ」ぐらいまで具体性を上げると見えてくるというものなのでしょうか。新米キーパー中年です。

いわゆる「ごみ屋敷」ともなれば、そのあたりは破綻しているのが必定のようですが、これは見ていて、掃除していて辛いです。故人も辛かろうと思います。どうなんでしょう。そこについに他人の手が入って、言わないまでも何か思われてしまうことについて。

 

わたしは「魂の悲鳴」みたいのが聞こえる気がするんですね。ひどい状態のお便所の戸を開くときなんかに。しょうがないから「トイレ~には~、それは~それはキレイな~♪」とか頭の中で流しっぱなしにするんですね。掃除させていただきながら。こんなこと書いていいんでしょうか。

 

しかしながらお年を召されようがどうしようがお便所を実に清潔にされている方がいらっしゃるのも事実であって、なにかそこに一線がある気はするのでございます。わたしとて「じゃあオマエは自分ちのトイレを1年中人に見せられるんだな!?」と言われると口ごもる時期もなきにしもあらずかもしれないので、実はオマエもキワキワではないかと言われればなんというかゴニョゴニョだったりしなくもないのですが、ええと、掃除しましょう毎日、みなさん(みなさん言うな)。

 

 

 

 

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2010年9月22日 (水)

嗅覚の変化

これまでの日常ではあまり経験することのなかった強い「臭い」を毎日のように鼻にしているうち、どうやら嗅覚が変わってきたようです。新米キーパー中年です。

日が浅いせいもあるのでしょう、住んでいる部屋はほぼ無臭。帰宅して寝ている間にリセットがかかるらしく、朝になって部屋を出て会社に向かう道中はごみ捨て場のごみの臭いが気になってしかたありません。非常に敏感になっているようです。

とはいえ、におい全般に敏感なのかというとそうでもないようなのですね。よい匂い、よい香りについては敏感になっている気はしません。となると実は悪臭についてのみ鼻が利くようになってきたのでしょうか。

仕事柄と考えれば納得のゆく変化ではありますが、うれしいかと言われるとあまりうれしくはないですね、やっぱり。

 

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2010年9月21日 (火)

今日のごみ屋敷

それは先輩方お墨付きの「ごみ屋敷」でしたが、実際には意外なものでした。新米キーパー中年です。

 

作業の始まりにあたって目に付いたのは、コンビニでしばしば目に付く、さいとう・たかをの「鬼平犯科帳」とか「仕掛人梅安」の週刊サイズのマンガ誌。そして池波正太郎『江戸切絵図散歩』(文庫じゃないほう)が雨ざらしになって庭に。ああこれ名著ですよねー。

これだけ重なったのなら、もっとはっきり予想してもよかったと後になって思ったのですが、この時点ではまだ漠然とした予感。なぜなら「ごみ屋敷」とはごみを拾ってきて溜めているものだろうという先入観があったからです。しかしこの家は違ったのでした。

 

60代女性の孤独死現場であるその家は、なんとも異様なことに3つの部屋の天井近くまで物品がぎっしり詰め込まれており、住人はその物品の上、天井までの1メートルかそれ以下の空間で生活をしていたようだとのこと。妖怪じみているとまで言ってはやはり失礼に当たるでしょうか。しかしすでに物件が常識離れして物凄いので、そのへんはわたしはもうよくわかりません(と言わせてください)。

そして、掃除はやはり上から順に物品の山を崩していくので(下から抜いて行くわけがないので)つまり掃除する我々は、故人の歴史を現在から過去へと否応なくたどることになるのでした。が……

 

…一貫している!

それがわたしの感想です。他のスタッフの感じ方は知りませんが。物品(ごみ)の内容が一貫していて、まったく破綻が感じられない。これらの物品はアトランダムに拾い集められたものではなく、故人が自分の意志で買い集めた物の集積だったのです。

具体的に言えばそれは雑誌(オレンジページやレタスクラブ)、マンガ(鬼平や梅安やクッキングパパ、漫画ゴラク)、文庫本(池波正太郎も多数)、洋服(大量)、お酒の空き瓶(大量。ワインが多いが日本酒も焼酎もビールも。凝った銘柄も散見)、あと映画の雑誌パンフ・ビデオDVD(すべて未開封。もっともこの部屋では見ようがないですけれど)……。

海外旅行にもよくいらしたようで記念写真の類も大量に。会社関係の書類なんかもたくさん出てきます。

 

それらの材料からはどうしたって、長く働いてきた女性、いつもおしゃれで映画と美食と書物を愛するセンスのいいご婦人だろうと思われてしまいます。それがなぜこんなことに。

その最後にいたる部分だけがよくわからない、いや、わかるのかもしれませんが、それ以外の部分についてはむしろよくわかる気がします。しかしなぜこうなってしまったか。池波正太郎は20年ぐらい前に亡くなっていますが、池波さんは自分の読者がこうだったと知ったら……。

 

ご存じない向きには通じなくても構いませんけど、池波正太郎という人は「人生の粋」を文章上でさまざまに表し、そしてご本人みずからも体現したような方だったんですね(シネマディクト=映画狂としても有名)。そういう人に惹かれおそらくは長年愛好してきた方の末期がこうだった、というのは、わたしには少なからずショックでもあったんですね。いや、このような状況にある人にすら慰めを与え得たと考えれば、作家もなにも言わないのかもしれませんが。

 

なんとなあ。なんというか。まだまだおもしろいですね人間は。いろんなふうに。興趣尽きぬところがあると申しましょうか。ではまた。

 

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2010年9月20日 (月)

享年

35歳で亡くなられた独身男性の遺品整理にうかがって参りました。新米キーパー中年です。

連休の渋滞に巻き込まれた道中は少々ならず辛かったですが、そしてお形見品のお届け先がエレベーターのない5階のお部屋だったのも軽いめの試練でございましたが、作業終了時にお父様が「今日、仏壇が届いてね」とおっしゃるのを目で追いますとそこには新しい仏壇とご遺影がありました。

そうか、35歳ですか。

そしてつらつらと考えますに、わたしは、35歳で死んでいたら嫌だったなと思うのです。わたしの場合それは5年ぐらい前に当たるのですが、その当時の状況とその後5年間のできごとをざっと振り返ってみると、5年前よりは今日のほうがいいな、なんて思うのです。死ぬならば。

もちろん死にたくて言ってるわけじゃなし、死ぬときに未来に何があるかわかるわけでもなし、言っても詮ないことではあるにせよ、なんだかそう思うのです。

 

人は何のために生きるのか、という問いに対する答えのひとつとして、マズローという心理学者は「この世に存在しうる最高の○○(自分の名前を入れて口に出してみてください)を実現するため」と言いました。いわゆる「自己実現」です。

しかしどんな自分が「最高の自分」なんでしょう。とりあえず、その答えが「今の自分」と思えるならいいですね。それは、明日の自分が「ああ昨日死ななくてよかった」と前日(今日)の自分を振り返る、ことを目指すということでもあります。

あるいは、遺品整理のこの仕事で、自分より若い人の死を身近に感じる場所に立つとき、わたしたちは、比喩的に言うと、軽く死ぬのではないか。その年齢で死んだ自分を無意識に想像しようとしてしまうのではないでしょうか。そうして「あの時点から何年生きて、わたしはどうだったんだろう」などと思ってしまったりも。

他人をだしにするみたいにこんなことを書くべきではないのかもしれません。しかしそれでも、明日も「昨日より今日の方がいい」「今の方がいい」と、今日みたいに思えますように。みなさまもそうでありますように。

 

 

「今が最高だと言えるようになろうぜ」

 

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2010年9月19日 (日)

ご蔵書

先日の現場は50台女性のひとり暮らしのお部屋でした。

フローリングの床に血痕というより少し凄絶なご遺体の痕跡が残っておりましたが、お荷物はよく整頓されていて身綺麗なお暮らしをされていたことがうかがわれました。

ご本人の許可もなく、と思うと失礼なことをしている気分にもなりそうになるのですが、ご蔵書を整理させていただいていると、わたしも読んだ本や持っている本、どういう内容か見当がつく本、名前は知っている本、フランス語の辞書や旅行会話集や文学書、聖書や宗教書、哲学書、澁澤龍彦の文庫本、人生読本や通俗ビジネス書、経理の本、株の本、PCの本、……

この方は孤独ではあっただろう、たくさん孤独な時間を抱えて暮らしてはいたかもしれないが、その生活は決して悲惨なものではなかっただろう、とわたしには思われるのですね。

彼女とわたしにつながる部分があるから、そう思うのです。少なくとも書店で同じ本を手に取り、購い、読んで家に置いていたという行動については重なっていると言えないでしょうか。その本を読んでいた時間については、同じとは言いませんが似ていただろうとは思うのです。時空は違っても同じ文章を読んだわけですから。

だから彼女は……彼女に限らず、人は皆、自分のバリエーションのようにも思われなくもありません。「こうあった可能性のある自分」と言いましょうか。なんでしょうこれは、悟りへの道でしょうか(笑)。遺品整理の仕事は、ときにそんなことを思わせかねないところが、なきしもあらずです。

 

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2010年9月18日 (土)

ゴキブリが人類を救うそうです

担当楽器が全員タイコのみという地元の特殊なバンドが全長20分の新曲を数ヶ月練習(わたしも先月までビシビシに参加)して、今夜その大作を初めて客前でおろすというので遠く東京から念力で声援を送っている新米キーパー中年です。

疲労のピークは過ぎたみたいにうそぶいておりましたが、そうでもなかったようです。なんかもうダメダメです。人の足を引っ張っているだけのような気がします。反省の一日、ふがいないです。情けないです。

なこと言っていても仕方がないので今日はニュース引用でお茶を濁してとっとと寝ます。

 ■ゴキブリ:人類を救う? 脳組織に耐性菌死滅作用 - 毎日jp(毎日新聞)
  http://mainichi.jp/select/science/news/20100917dde041040053000c.html

「清潔ではないところにすむ昆虫が、多様な細菌から身を守る力を持っているのは当然だ」…な、なるほど。逆転の発想。ではハエは、ウジはどうなんでしょう……調べて偉い人。

 

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 ゴキブリやバッタの脳組織に強力な殺菌作用があることを、英ノッティンガム大の研究チームが突き止め、英総合微生物学会で発表した。薬剤が効かない多剤耐性菌が問題になる中、チームは新たな抗生物質の候補として期待を寄せている。

 熱帯から亜熱帯に分布するワモンゴキブリと、農業被害をもたらすサバクトビバッタの組織を使い、耐性菌のMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)や病原性大腸菌への効果を調べた。その結果、ゴキブリ、バッタとも筋肉や脂肪などに殺菌作用はなかったが、脳や神経などの組織は細菌を90%以上死滅させたという。

 9種類の抗菌性たんぱく質を見つけ、多剤耐性アシネトバクターなど、抗生物質がほとんど効かない細菌への効果も調べている。チームは「清潔ではないところにすむ昆虫が、多様な細菌から身を守る力を持っているのは当然だ」と話す。

 この発見が、新しい抗生物質の開発に実際に結びつくかは不明だが、チームの研究者らは「5~10年後には臨床試験し、製品化を目指したい」と意欲を見せている。【大場あい】

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 ◇ワモンゴキブリ
 熱帯や亜熱帯に広く分布し、日本にも生息する。体長は成虫で4~5センチ程度と、屋内にいる日本のゴキブリでは最も大きい。胸部にリング状のまだら模様があるためこう呼ばれる。日本では九州南部から沖縄にかけて分布していたが、暖房器具の普及により、全国で見られるようになった。

++++++++++++++++++++++++++++++++++

 

あっ大阪支店とネタがかぶりましたね。
 ●ゴキブリの力: 遺品整理のキーパーズ 大阪支店
  http://keepers.seesaa.net/article/163014653.html
でもいいです。もう寝ます。

 

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2010年9月17日 (金)

なぜならそこは自宅ではないから

自宅とは主観が、他人の家は客観が認識の主となる空間なのではないでしょうか。新米キーパー中年です。

遺品整理の仕事をさせていただき始めて2週あまりが経過しました。暑さが和らいだおかげもあってか肉体的な疲労もいちおうピーク(1回目の?)を過ぎましたようで、気を取り直しあらためて、数日かけるつもりで初心を見つめ直してみようと思います。

 

ご承知いただいている向きも多くあられると存じますが、遺品整理の仕事とくにその現場作業にはハードな場面が数々ございます(もちろんそればかりでもございませんが)。

強い臭気が立ちこめ病害虫のはびこる環境下での物品の仕分け梱包と家具類の撤去。ご遺体の痕跡や血痕の拭き取り清掃、汚れた布団や畳の搬出。電気が停まって時間の経過した冷蔵庫の内容物の処理。消毒消臭など。

これが我が身に振りかかった事態であれば、身内とはいえ他人の後始末の汚れ仕事、それを丸投げできて、しかもこちらの気の済むような丁寧なやり方でやってくれる業者がいるというのなら、わたしだって頼みたいと思うかもしれないと思います。そうしてしかし、わたしは今それを職業にしようとしている。これは矛盾でしょうか。そうではないと思うのです。それが困難と感じるのは実は「他人とはいえ身内」だからなのではないでしょうか。他人といっても近い(親しい)他人だからではないでしょうか。この話、長くなりそうな予感がしますが、続けます。

 

現場作業としては短い経験ですが、ご遺品となった数々を物品を拝見していて、人間には(も?)モノを溜め込む習性があるのだと思います。本能(的な何か)が「一度手にしたものを手放すな」と叫ぶのだと思います。そうでなければ、そう言ってはなんですが、なんでそんな下らないつまらないものを捨てられずに溜めてしまったりするのでしょう。

キッチンには輪ゴムや割り箸やレジ袋、使わなくなった調味料、もらいものの食器、数年前に使ったきりの鍋、何個もあるヤカン、何枚もあるまな板。物入れにはレシートや光熱費の領収書、給与明細、リボンやヒモ、タオル。二度と着ない服、二度と使わないメガネ、二度と見ない写真、二度と読まない手紙に本、壊れて使いみちのない機械類。わたし昨日は押入れの奥に足のギプスの石膏型を見つけました。……。

このこと自体は他人事ではありません。わたしとて多かれ少なかれ(多いかもしれません)くだらないモノを山のように溜め込んで人に呆れられるクチです。そしてそれらはなかなか処分できません。取って置くといいことがあるような気がするからです。あるいはそれを手にしたときのうれしい気持ちが残っているからです。

 

人から大事にされたり、思ってもらったり、気遣いやお礼であったり、ということはそのときにそうしてもらえるだけの価値のあることを自分はしたのだという記録や記念、思い出。モノが無くなるとその気持ちや記憶まで無くなってしまうと思うから、そういうものは捨てられません。その延長で、人は使いきれないほどの輪ゴムをうっかり溜めてしまうのかもしれないと思うのです。少なくとも輪ゴムはお客への気遣いとしてかけられた便利な道具ではありますから。

そして人は、他人に共感します。親しい人の行動の痕跡を見れば、その人を思い出してしまう。その人が大切にしていたものをむげに廃棄することに抵抗を覚える。それを捨てればその人についての記憶がひとつ減るような気がする。過去にその人をいい人だと思った、好きだなあと思った記憶が思い出せなくなってしまうように思う。それは実際にそうなのでしょうけれど。

その人が暮らしていた部屋が丸ごと残しておけるならば、その人の生活の様子を偲ぶことができます。まだその部屋にその人が暮らしていて、今は出かけているだけで、すぐにも帰ってきて、それで今までどおりの「その人がいる自分の生活」が続けられる気がする。その部屋を壊してしまえば、その人は本当に居なくなってしまうのです。

 

人は変化を嫌います。それは無意識に。何の制約がなくても、人はその人なりに規則的な生活を送ります。体の仕組みがそうなっているからです。

そして、人は人間関係の中で生きています。人が死ぬということは、人間関係がひとつ、外部的に、ある意味暴力的に失われるということです。その気になればいつでも会って、ニコニコして親しく仲のいい時間が過ごせたはずの人がいなくなってしまう。そしてそういう人がいたという記憶まで永遠に失われてしまう。これは、やはり、苦しい事態です。だから他人の出番なのです。金で雇われた赤の他人の。苦しすぎて自分ではできないからです。ご遺族にとってご遺品とは、故人から贈られた受けとめようのないギフト、受け取りようのない贈り物であるのかとも思います。

 

遺品整理業者が遺品を平然と処理できるのは、それらが自分に対するギフトではないからです。実質的にもそうですし、手続きとしてもきちんとそのような手続きを踏みますから、確実に、安心して作業が行えるのです。

遺品整理業者見習いのわたしにしても、初回はさすがに驚きも恐怖も存分に感じていたにせよ、今では普通の労働の一種として日々業務に従事できているのは、このような心理的な作用からだと思われます。実に、言い方に困りますが、巧緻で賢明な仕組みなのではないでしょうか。

 

とりあえず、今日はこのあたりで。

 

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2010年9月16日 (木)

虫について 2

入社前に予習として社長の著書やブログや雑誌記事( http://www.keepers.co.jp/blog/ )などいろいろ読んでおりましたが、なんともいえず恐怖を予感させられたのが虫関連のエピソードでした。新米キーパー中年です。

いわくゴキブリびっしり屋敷。謎の巨大ハエ(「これってハエですか」 「分らないですよ」という会話が印象的です)。

 ●さすがの私も無理・・・ - 現実ブログ 「遺品が語る真実」
  http://blog.goo.ne.jp/keepers_real/e/196400b949c152fa95c41ef85765ed56

 

…そもそも「同じものがたくさん」というのは人に恐怖心を抱かせやすいパターンだと聞きますが(映画『エイリアン』の卵とかですね)、ならば「びっしり」いればなんでも怖いのかもしれませんね。びっしりカタツムリとかびっしりミミズとか。…うん怖いこわい。びっしり人間も怖いですね。

(ちなみに「びっしりミミズ」というか養殖したミミズをスキみたいのですくい上げてる写真を農業関係の本で見たことがありますが、アレはすごかったです。スパゲ……失礼いたしました。)

でも家の中にあんまり変なものが、たとえばヘビが50匹いるなんていうことは基本ナイわけで、あるとすればゴキブリ、ハエ(ウジ)、ネズミあたりでしょうね(猫がいっぱい、というのは社長のブログにありました)。

わたしはまだ「真実のびっしり」を見たことがないので多少たかをくくっているところはありましょうが、今のところは存外に平気です。ハエ(ウジ)、チョロチョロするゴキブリ、多めのハエトリグモですとか。ハエトリグモは基本的に好ましく(カワイイ、頼もしいと)思っています。ゴキブリの幼生も食べてくれるらしいですよハエトリグモ。

そんな中で、まず、大量にうごめ(蠢)いていたりして人をゾッとさせるのがウジでしょうか。イエスの「ロンリーハート」のPVとか……世代ですなー。今日は少しハエ関係を調べてみました。

こちらの末尾に出てくる分かりやすい図表から考えますと… 

 ●バイオセキュリティ 農場を守る」
http://www.agri.pref.hokkaido.jp/fukyu/toh/tec/siori/tiku/2bios/biosecul.html

夏場の「現場」に入り込んだ1匹の成虫は、1日あたり20個ぐらい(週あたり120~)の卵を産み、それらは8時間(!)で孵化し、1週間で成虫になってまた卵を産み始める。とすれば算数で言うなら成虫は1週間後から毎日20匹ずつ増え始めて、2週間後からは複利になって400匹、次の日600匹、その次の日は800匹増える…のでしょうか? 

ああ狂乱の宴なのですね。ハエの。すごいですね。次はゴキブリ調べてみますか。やめておきますか。

 

 

YouTube - Yes "Owner Of A Lonely Heart"

 

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2010年9月15日 (水)

虫について

子どものころ虫が大好きでバッタやセミやトンボやらなにやらかにやら時間の限りひたすら捕まえまくり、ときに殺しまくり、ときに観察し弄んで眺めて愛でて、ヒマさえあれば昆虫図鑑をひらく生活でした。心の底から虫が好きだったあの頃。ああ。新米キーパー中年です。

しかし大人になって学校を出て何年かするうちに虫というか「自然」と親しむことが少なくなり、都市部のみで生活と仕事をしていたところすっかり虫が「怖く」なってしまっていました。そんな自分に気がついたのは10年ぐらい前だったでしょうか。

 

バーベキューをしにいった河原で目の前に飛んできたでっかいショウリョウバッタ。子どものころなら歓声を上げて捕まえようと反射的に手が出たはず。ですがそのときわたしの口から出たのは「ヒッ」という悲鳴。体がこわばり、一瞬動けませんでした。

「なんだこの反応?」

そう思って、そこらに広がる草むらに踏み込んでガサガサと足で左右に草を払うという、子どものころ虫を探すときにお気に入りだった動作をやってみようとすると、なんということでしょうか、草むらに踏み込むこと自体がなんだか怖いのです。虫に対してすっかり意気地なしになっていることに気づいて淋しいやら悲しいやら、情けないやら、だったのでした。

わたしはどうしてしまったんだろうと疑問に思ったりしたのですが、すでにして虫の怖さは異常。でかい虫の足のとこがギザギザになってるのとかですね。子どものときは「カッコイイなあ」って触ったりしてた気がするんですけど、もうカブトムシだって怖い。自転車のサドルにカマキリなんかいた日にはカバンではたき落としてドキドキしている。大げさに言えば「こんなのわたしじゃない…」みたいな。

 

その後、同好の士というか「大人になったらいつの間にか虫が怖くなってた仲間」を見つけて「虫こわいよねー」というトークをしたりしていたのですが、こんなことではいかん(←なにが?)と思い直して「虫は怖くない」「逃げちゃだめだ」などと折にふれて自分に言い聞かせていると、努力のかいあってだんだん症状は改善されて、飲み屋でゴキブリを見ても「やあ、こんにちは」とあいさつして観察できるぐらい病状が回復したのでした。とはいえ自宅に出たら大騒ぎですが。めでたしめでたし(←なにが?)。

さて、そんなわたしがこのたび就職した職場の現場(変な言い方ですね)で遭遇したのは……

 

以下、次回に続いてみましょうか……

 

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2010年9月14日 (火)

熱中症の勉強

昨日もまったく涼しくなんかなくて、目がくらんでへたり込みそうになっていた新米キーパー中年。曲者はタンス。階段が通らずベランダから降ろし、そしてお届け先でも階段が通らずいろんな角度を試しほとんど不可能な場所をグリングリン回して無理から上げたので、もうあのタンスは降ろすことができないと思います。

しかし作業中のめまいには身の危険も感じるので、シーズンのピークは過ぎているのかもしれませんが熱中症について少しだけ調べてみました。

 

 ■熱中症 - Wikipedia から抜粋-
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E4%B8%AD%E7%97%87

●予防法
・運動・就労前に出来るだけ多くの水分を取る。発汗によって失った水分と塩分の補給をこまめに行う。
・塩分の補給には味噌汁やスープなど塩気の感じられる飲料が体液と塩分(塩濃度)が近く最適である。発汗を続け水分のみ補給し続けていると体液の塩分(塩濃度)が希釈され、ひどくなると水中毒状態へ進行する。

●応急措置
・経口補水塩またはスポーツドリンクなどを飲ませる。夏場の重労働などでは早め早めの飲用がトラブルを防ぐ重要なポイントになる。経口塩分の過剰摂取には短期的に生命の危険になる可能性はほとんどないため、量は多目でよい。
・霧吹きで全身に水を浴びせて、気化熱によって冷やす。冷たい缶ジュースや氷枕などを腋の下、股などの動脈が集中する部分にあてて冷やすのが良い。
・速やかに病院などに連れて行く。躊躇せずに救急車を呼ぶ。
・自覚症状で熱中症だと感じることはまずない。

 

とくに怖いのは最後の「自覚症状で熱中症だと感じることはまずない」という一文ですね。ひやりとしたりするのはすでに危ないんですね。

涼しくなるといっても「これまでと比較して」ということですので、まだ注意が必要だと思います。

 

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2010年9月13日 (月)

自宅に潜む危機

今週からは涼しくなるそうですね! 嬉しいです。新米キーパー中年です。

 

本格仕様のゴミ屋敷との対決を制し(熱中症の危機を経て)ふらふらのぺこぺこ(おなかがぺこぺこ)で帰宅したときのことです。

玄関ドアを閉めた瞬間にすべての衣服を脱ぎ去って洗濯機にたたき込み「まずは風呂だ」とじゃぶじゃぶお風呂タイム。

そして風呂からあがると……なんだか臭うのです。一日嗅いでいたゴミの臭いがかすかに。えーっ、なんでなんで? わたしの臭いなんだろうか? 体の内側から? 服は洗濯中だし…。

 

ちょっと呆然となりながら、よく見るとゴミを出し忘れていたという。リアルゴミ臭でしたという。ミイラ取りがミイラみたいな間抜けな話でございました。

 

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2010年9月12日 (日)

銅線抜き

少しヒマがあるときにする作業だそうですが。

エアコンの、室内機と室外機をつなぐホースみたいなものがありますね。あれが倉庫に溜めてあります。あの中には銅製の管(チューブ)が2本、ウレタンみたいなものに包まれて入っています(知らなかった)。その上をテープでぐるぐる巻いて1本のホースになっているのですが、その銅線を取り出すのです。これがちょっと楽しい。

ビクビク暴れるホースの首根っこをしっかり押さえて、カッターでビーッと腹を裂き、銅線を握って一気に引きずり出す……と、なんだか長い魚かヘビを捌いてワタか背骨を抜いているような感じで、気持ちがよい。

みなさんもご自宅のエアコンホースで試してみ……失礼いたしました。

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2010年9月11日 (土)

外人に仕事を説明してみました

昨日は仕事が休みだったので、たっぷり寝て夕方から知り合いのライブを見に行って来ました。新米キーパー中年です。

その会場で話しかけてきた日本語のやたらと上手いフランス人。彼は、ロシアやウズベキスタンや中国で写真を撮って来たカメラマンで、今は日本に1年半ぐらい住んでるんですって。ひとり暮らしのメインベースは日本が気に入ってるんですって。へえ。

それで二人でなんだかんだと仲よくしゃべっていると、やって来た知り合いのひとりがわたしに「それで何の仕事なんでしたっけ」と。

「遺品を整理する仕事です」 「?」 「亡くなった人の荷物をですね……(略)」

「なんか…マニアックですねー」とのご感想で一応理解してもらえたところで、横で聞いていたフランス人が「仕事の話、よくわかんない」と。もっと説明しろという表情。その時に言ったことを思い出して書いてみます。

 

人はいろんなふうに死ぬわけですけど、幸せに亡くなる人もいれば、たとえばひとり暮らし(彼が使った単語だったから、これで伝わると思った)で死んじゃって、しばらく気づかれなくてすごいことになっちゃう場合もありますよね。そして死んだ人の荷物が残るでしょう。それを家族が見て「これは取っておきたい、持って帰りたい」とか「これはもういらないから処分する」とか分けて、それを手伝ってちゃんとしてあげる仕事なんですよ。

 

もじゃもじゃの長髪で、優しくて、店にいる人みんなと挨拶してる、音楽好きで酒好きで話し好きのフランス人。あっちこっち世界中をひとりで旅する男。ふーん、と瞬時考え込んだ彼は、真剣な口調で「それは、必要な仕事だね」と言ったのでした。

伝わりますね、遺品整理。名刺持ってたら配るシーンですね。

そして、こういう街場での地道な口コミ宣伝も有効かも、とも思ったのでした。

 

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2010年9月10日 (金)

女三人そろったら…

…かしま(姦)しいとは愉快だね♪ とは小学生のころ夕方の演芸番組「お笑いネットワーク」なんかでよく聞いたフレーズ。関西育ちなのです。新米キーパー(中年)です。

 

先日お伺いした遺品整理では、老齢のお母様のお嘆きになる様子がどうにも痛ましくてたまらず。故人である息子さんの趣味や離婚に至られた経緯などを、文字どおり繰り言のようにお話しになるのを素で聞いてしまって涙ぐみそうになったり。

親より先に逝くのは親不孝であるというのは、子を失った親の悲しみの深さのことであったかと。教わりました。

 

一方、同じ日の午後にお伺いしたお見積りの現場のお立ち会いはなんと五人姉妹。これは……かしましかったです……と申し上げましょうか…。

厳粛であろうべきというか重苦しい雰囲気になりがちである孤独死現場も、ある種イベントと化してしまったかのように、小声ではありますがしゃべりまくる騒ぐ急に真剣なお顔になって相談される、ふと悲しむ、いない人のうわさ話に故人の評判、お互いに蚊を叩き合って何か言い合って笑う、値引きがどうのとか、急に静まってお聞き入りになったり……なんとも、いやなんとも。めげないんですね。めげるという概念がないかのように。

女性の一人ひとりはかよわい(こともあるかもしれない)。しかし複数人の女性は、なんだか独特に知性的であるし、たくましいと申しますか、たとえばその発言の本音と建前の混在ぶりと申しますか振幅と申しますか……「女性である」ということは、それ自体で十分に素晴らしいことじゃないだろうかなどと改めて思い知らされた、のでした。

 

わたし、けして嫌いじゃないですね。女性が集まったあの雰囲気。それどころか懐かしい感じさえします。なぜかといえば、前の職場の雰囲気を思い出すからでした。パートさんが20人ぐらいいたんです。ううん、何か思い出します。

ではまた。

 

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2010年9月 9日 (木)

ニーズの実感

台風のおかげで涼しくなり東京はホッと一息ですね。新米キーパー(もうすぐ40歳)です。

 

「ほんとに大変なのよね!」

見積り先で、奥様のその言葉とお声の調子に、そしてお部屋の状況を拝見するに、深く頷いてしまうのでした。

ご自宅からご実家までは、同じ関東とはいえ車で数時間かかる距離。その日はご主人お子様とお車でお越しでしたが、親戚に男衆が多い大家族ならばともかく、このお部屋を奥様が自力でお片付けされるには、ゴミの日を見計らって電車を乗継ぎあるいはホテルに泊まり込んだりして、何日がかりの大仕事になることであろうかと。

核家族化と少子化が進み、地域社会のつながりも薄れてしまって久しい現代ニッポンの一面を象徴する光景だと思い、そして全然まったく他人事ではないとも思いました。専門業者の存在が救いになっている場面を眼前にしました。

ベテランの先輩が落ち着いたしゃべり方の中に同情をにじませながら淡々と説明と見積りを進めると、奥様のご表情には柔らかさも増えて、たとえばそれは「私の苦労をわかってくれる会社があった」とも思っていただけているのではないか、と。会話の中で笑いが漏れたりすると、後ろで控えるわたしまで嬉しくなるのでした。

 

このような場面はすでに社長や先輩方のブログにも何度も書かれているようなことではありますが、やはり実際にその場に立ち会うと実感されるものがあります。ご遺族さまの疲労感や焦燥感がひしひしと感じられます。「こういう会社/この人に頼めばこの事態が解決できるんだ」と思っていただけていると実感します。

 

あと、核家族化は子ども側の「問題」や「テーマ」であるように考えがちですが、それは自分が子ども側の立場で考えているからで、実は「親」にとって重大な事態(危機)でもあるというのは、こういう仕事でもしなければ(子ども側からは)気づきにくいような話であると思います。子ども/親と言うより、新世代/旧世代とでも言い換えるともう少し通りがよくなるでしょうか、この話。団塊/ジュニアとか。

ではまた。

 

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2010年9月 8日 (水)

想像と現実

 

はじめまして。東京支店で研修をかねて仕事を始めさせていただいている新米キーパー(中年)です。39歳です。39歳です! 来月40です!! どうぞよろしく。

わたしもここに書いてよいとのことですので、おそるおそる、日々のことなどお伝えしてみようと思います。そしてわたしも一人前だと胸が張れるようになったころにフト読み返してひとりで赤面したいと思います。まだまだ恥ずかしいようなことばかりで……渡された洗濯機をつかみ損ねたり(内緒)。

とりあえず現場で今いちばん感じていることを少しずつ書いてみます。今年はまだ暑くて、初日なんか汗が止まらないんでどうしようと思ったとかいうのはともかく……

とても肉体労働なので食事と睡眠は自己管理の最重要事項なんていうのもともかく……

 

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遺品整理とは理屈で言えばどんな人でも顧客になり得る、どんな人をも顧客となし得る仕事で、その関わり方とは、プライヴェートな空間・人のセンシティブな領域に手をつっこむのが日常となるのだろうとは事前に想像していました。

しかしここまでのものなのかと。

初めて「現場」に入った瞬間から、どこか自分の何かの感覚(感度)を瞬時に下げたというか、鈍くした自覚がありました。その操作は今のところ毎日必要です。この先も毎日意識するべきなのでしょう。

故人やご遺族さまと同調しすぎてはいけない(そんなことがそうそうできるわけでもないとは思うのですが)、だけど断ち切ってしまってはいけなくて、「感じつつ感じすぎない」、感度は上げてゲインを下げるみたいな匙加減(ふつう人はあまりそんなことはしない)というのがプロ意識ということになってくるんじゃないだろうか、などとなんとなく思いました。

 

またもう少し考えてみます。ではまた!

 

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